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技術者、エンジニアの感性(プラント・エンジニアリング会社、コージェネ、マッチポンプ、バイオマス)

アルジェリアでのイスラム系武装勢力によるテロ行為で犠牲となった日本人の多くは優秀な技術者(エンジニア)であったに違いない。非常に悲惨な事件であり、国家の損失であった。
前副社長から派遣社員まで、その知識、技術、管理能力のレベルとプラント建設における役割は異なってはいるが、数百人のアルジェリア人と協力して砂漠の中に天然ガスプラントの建設を強い意志で遂行していたことは間違いない。
大学同期で日揮に就職したものはいなかったが、化学工学を学んだ者にとって、石油精製、石油化学、天然ガス等のプラント・エンジニアリング会社の大手3社である日揮(当時は日本揮発油)、東洋エンジ二アリング(TEC)、千代田化工(千代化)は、学んだ知識をフルに生かせることから花形の就職先であり、成績優秀者の就職先であった。

どの分野でも同じだろうが、技術者も一朝一夕には育たない。技術者としての感性を持つまでに、実体験という時間を要すると考えている。感性とは想像力と構築力である。
技術者は形のないところから形あるものを想像し、実在のものへと構築していく能力が必要であり、それを実体験することによって、技術者としての感性は磨かれていく。この経験と経済、社会の要請とのバランスを取りながら、社内外の様々な難関を克服して先進的な技術に取り組んむ姿勢が必要である。

1990年代の初めは、コージェネレーション(熱電併給発電、CGS;Cogeneration、CHP;Conbined Heat & Power)は一般的な知られた設備ではなかったが、乳業界で初めて導入することを企画したことがあった。
第二次オイルショック後の1980年代の後半から、国内に設置されたCGSを視察しながら、自工場への導入の機会をうかがっていた。その省エネ性、環境性、経済性が認められている時代ではなかったため、導入するに際して社内では賛否両論があった。その設備のレイアウト一つとっても、役員、部長、上司らが会議をしても決定できないほど、訳のわからない代物だった。
そのCGSの導入を決定前に直属上司の計らいで米国のCGS視察団に参加したことが契機になって、社内でCGSが認知されていった。それでも、論理的でない理由をつけて導入に強行的に反対する先輩技術者がいた。当時、彼は技術者として感性を持ち合わせていないと感じたが、その後もマッチポンプ(偽善的な自作自演)が目立つ人物に終始した。

2005年前後に、食品廃棄物のバイオマスの熱利活用の設備の導入を企画した。これも乳業界初の試みであった。
この施設は昨年度に「平成24年度循環型社会形成推進功労者」環境大臣賞を受けたが、導入するまでの過程は容易ではなかった。導入する数年前から設備メーカーの技術協力を得て小型バイオマス実験装置を工場に設置してテストを繰り返していたが、工場長から難癖をつけられて撤去を余儀なくされるなど大きな反発があったからである。
その工場長は現在関係会社の社長になっており、『矢崎さんは時代を先取りしていた。大したもんだよ。』と、今でこそ理解を示してくれるが、10年近く前に社内の理解者は皆無だった。本設備を導入する間近になっても埒が明かないので、日経新聞の記者にバイオマスの関連記事を掲載するように促し、その記事で社内を強引に説得したこともあった。
幸いに優秀な社外の技術者の協力を得て、この設備が結実し、社会的に評価されたことは幸いである。

太陽光発電の導入など様々な環境関連設備の導入を企画し実行してきたが、残念ながら後輩技術者には、難関を乗り超えるような意欲が見られないようである。
先日、本社の元役員で関係会社社長が、『後輩連は自分の好きな仕事はやるが、それ以外は仕事をやらされているという意識が強い。困ったものだ。』と話があった。何事も積極的に取り組めば、技術者としての感性が磨かれる。やらされていると受動的に取り組めば、感性は鈍化するだけのことである。

2月中旬に日本乳業協会の環境委員会で話をさせてもらう予定である。後輩たちの意欲を鼓舞することもあるが、環境問題への対応を体系的に、経年的に、例示しながら把握してもらうことを一つのテーマとしている。
食品工場も他の産業に違わず閉鎖が続いているが、後輩技術者の奮起を期待していきたい。
ただし、マッチポンプに終わってはならない。

by ecospec33 | 2013-01-31 10:08 | ●その他社会問題  

1月の行事(新年会、新宿駅周辺を歩く、シルバー、ウォーキング・グルメ会)

2月に入れば、早稲田大学理工学研究科の化学工学の同期会がおこなわれるだろうが、昨日で一連の新年会が終わった。

松の内に、東京工業大学工学部化学工学科太田口和久教授が主催する、井上一郎先生の喜寿のお祝いを兼ねた井上研の新年会があり、久しぶりに参加した。
井上先生は東京工業大学工学部化学工学科の教授と理化学研究所化学工学室長(後に理事)を兼任された、素晴らしい研究者であると同時に教育者である。1972年度に理研の化学工学室で1年間だけであるが、佐藤一省先生(後に東京理科大学工業化学部教授)の元で卒論をご指導いただき、自由闊達な雰囲気の中で自己研鑽する厳しさを学び、また、早稲田大学に戻ってからも、井上先生には修士の授業で、「確率論」、「最適化問題」などの原書を読解する術を学んだ。
井上先生が初めて経歴を披露された。『出身の群馬県大田市は田舎町であったが・・・戦時中は大学で1年半しかで学べず・・・理研に就職したが、原爆開発をしていたことにより、戦後すぐに理研が解体され・・・「社会に役立つ研究」を目指して、膜、遠心分離、撹拌など各プロジェクト形式で研究が行われ、実用化の目途が立つと携わったプロジェクト・メンバー全員が企業に移籍する時代だった。・・・』と、日本の戦後の復興を担った技術者の姿を彷彿とさせる、感慨深いお話であった。
新年会の参加者は50代以上がほとんどで、定年者が増加した。中には現役の原子力発電プラント設計者がいて、『(自民党政権になって)やっと、原子力を落ち着いて見直してくれるようになった。』と近況を述べた。その翌日に、井上先生著作の書物で自動制御で学んだという、東工大出身の元上司にこの近況話について話をすると、『大学のクラブの同窓会でも同じような話を聞いている。』とし、『世間の一般人と原発関係者とは、原発に対する意識に大きな隔たりがあるようだ。』と話した。
<<ロンドンから贈られた馬水槽>>
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例年開催される日本乳業協会傘下の「全国牛乳容器環境協議会」の新年会に参加した。
宴席で「運営委員会など各種委員会を立ち上げた。」と事務局が披露した。紙パックの回収率が頭打ちになっている状況を打破するために、協議会を構成する乳業会社などから動員するメンバーを増加させ、市民への紙パック回収の意識を向上させる狙いがあるようだ。
市民相手のこの種の問題は容易に解決に至らないが、事業者(企業)はこの種の活動をやり続けないと、社会から見放されるというジレンマがある。
<<太宗寺の地蔵菩薩:巣鴨など各街道筋に6か所設置されている>>
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昨日、これも例年のことなのだが、「全国牛乳容器環境協議会」に関与している(していた)丑年生まれの「牛の会」に参加した。「牛の会」は、50代の一回り下のメンバーを除いて、世間一般から言えば、シルバー世代のウォーキング・グルメ会(爺婆の歩こう会)となるのかも知れない。
西武新宿駅前を12時に出発し、歌舞伎町の食事処に16時に到着するまでの4時間で、旧跡、神社など雪が残る新宿駅周辺を見て回った。総歩数は約12,000歩であった。
西武新宿前→アルタ前の馬水槽→モア街→歩道公園“四季の路”(路面電車角筈線跡)→花園神社→成覚寺→太宗寺(信州高遠藩主内藤家菩提寺)→玉川上水・内藤新宿分水散歩道(新宿御苑散策路)→水道碑記と四谷大木戸跡→小泉八雲旧居跡→自証院→永井荷風旧居跡→坪内逍遥旧居跡→発明会館→抜弁天→永福寺→島崎藤村旧居跡→鬼王院(稲荷鬼王神社)→小泉八雲終焉の地→小泉八雲公園→新大久保コリアンタウン→皆中稲荷神社→歌舞伎町旧コマ劇場前→新年会会場
それぞれの旧跡には案内板が整備されている。正月の雰囲気が残る神社ではご朱印を頂くメンバーもあり、コリアンタウンでは、韓国のイケメン店員のアイコンタクトに釣られて、顔パックを購入するメンバーもいた。
<<小泉八雲終焉の地>>
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<<小泉八雲公園の飾り板(ダブリンの旧居にかざられている)>>
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かって武蔵野と呼ばれていた新宿駅周辺に数多くの文豪が住んでいたこと、小泉八雲は島根県松江市で14歳年下の士族の娘と結婚したが、1年4ヶ月間しか住んでいなかったこと、また島崎藤村が長野県から初めて移り住んだ新宿(当時は南豊島郡)の地で3人の娘を相次いで亡くしたことなどを知ったことは収穫であった。
大木戸近くには斎藤茂吉終焉の地があり、さらに足を延ばせば、早稲田大学近くで大名主の家に生まれた夏目漱石旧居跡、公園も見ることができるそうである。
ちなみに、誕生日順に並べると、
・小泉八雲:1850年(嘉永 3年)~1904年(明治37年)満54歳で没
・坪内逍遥:1859年(安政 6年)~1935年(昭和10年)満75歳で没
・夏目漱石:1867年(慶応 3年)~1916年(大正 5年)満49歳で没
・島崎藤村:1872年(明治 5年)~1943年(昭和18年)満71歳で没
・永井荷風:1879年(明治12年)~1959年(昭和34年)満79歳で没
・斉藤茂吉:1882年(明治15年)~1953年(昭和28年)満70歳で没

<<暮れなずむ歌舞伎町>>
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前週に主宰者があらかじめ探索してくれていたお蔭で、江戸、明治の時代に想いをはせながら楽しく見学することが出来た。深謝。

by ecospec33 | 2013-01-20 16:37 | ●プライベート  

米国の肥満率と貧困率、そしてジニ係数(シカゴ、アメリカ、州別、黒人、白人、ヒスパニック)

2005年の夏に、世界最大のターボ冷凍機メーカーであるトレイン(TRANE)社を視察する際に、米国第3位の大都会、シカゴに立ち寄った。
超高層ビルの一つ、ジョン・ハンコック・センターの最上階330mに上って、ミシガン湖に広がるシカゴの街を見下ろすなど楽しんだのだが、黒人が多いこと、また肥満なアメリカ人が多いことに驚いた。また、肥満の原因の一つに上げられるファストフードを提供するマクドナルドの1号店が、このシカゴにあることも印象に残った。
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この肥満の割合は、性別、人種、年齢、教育などによって異なるが、それには貧困が大きく関連しているという。
性別については、男性より女性の肥満率が高い傾向にあり、低収入なほど、女性は増加するが、男性は大きな影響を受けないそうである。
人種については、白人、黒人、ヒスパニックの順に肥満率が高くなる傾向にあり、低収入なほど、白人と黒人とヒスパニックの女性は増加するが、黒人とヒスパニックの男性は低下し、白人の男性は大きな影響を受けないそうである。
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このように、低収入と貧困が肥満に大きく関連していることから、アメリカの州別の肥満率と相対的貧困率との関連を、また参考のためにジニ係数との関連を調査した。
肥満率と相対的貧困率との相関は、その傾向は示すことが出来きたが、州という大きな枠組みでは明確はないようであった。
また、肥満率とジニ係数との相関はないに等しい結果であった。

私も2、3年前に肥満率にカウントされないことになったが、腹は引っ込まない。肥満大国アメリカを論じていても仕方がないのだが・・・

なお、用語は次のとおり。
●肥満率:BMIが30kg/m2以上の人口比率
●相対的貧困率:全国民の可処分所得の中央値の半分に満たない国民の割合
●ジニ係数:所得分配の不平等さ表す指標

by ecospec33 | 2013-01-11 13:08 | ●その他社会問題  

正月の過ごし方(美輪明宏、自民党、責任、謝罪、民主党、原子力政策、経済政策)

<<謹賀新年>>
正月を南房総で優雅に過ごしている兄から元旦に電話があった。こちらは年末も年始も生活のパターンを変えずに自宅で過ごしたいので、遠出もしたくないのだが、初詣は別にして何かと邪魔が入る。
<<深大寺2013>>
正月の過ごし方(美輪明宏、自民党、責任、謝罪、民主党、原子力政策、経済政策)_e0223735_11111290.jpg
初売りで新宿のデパートに連れて行かされた。荷物運びである。
女性ものの売り場の隅にあるトイレ近くの椅子に座って福袋を買うのをじっと待っていると、そこに座っていなさいとばかりに小学校4年生くらいの娘を母親が置いていった。その娘はゲーム機を取出して夢中に遊んでいたが、その隣にドッコイショとばかりに座ったご高齢の女性は、奥の席のやや若い男性に声をかけ、運動になるからと娘に連れ出されたと話した。
デパートは女性が約85%、男性が約15%の割合で女性が多かったが、駅構内では女性がやや多い程度であったので、その男性陣はどこへ消えてしまったのかと思うほどであった。
大晦日も新宿に出かけ、一人住まいしている甥と昼ごはんを食べ、デパ地下で蕎麦と天ぷらを買って帰った。この時も女性のパワーに圧倒されたが、福袋を前にした女性は目の色が変わっていた。

美輪明宏氏が紅白歌合戦で「ヨイトマケの唄」を歌った。
小学生高学年だった1960年代初め頃まで、この歌詞にあるような地固めの作業を見ることがあったが、その掛け声が面白そうに思えたので、唄のような哀しみを感じたことはなかった。
丸太三本で組んだ三又(さんまた)に滑車を下げ、そこに太い丸太の槌(つち)を取り付けたロープを通していた。2、3名の労働者(そのときは日雇いとか土方が差別用語とは思わなかった)が「母ちゃんのためならエンヤコーラー!!」と掛け声をかけながらロープを引っ張り、タイミング良く槌を落下させた。何度か、このような掛け声を繰り返した後、「もう一度だめならエンヤコーラー!!」で手を休めてから、次の場所に三又を移動させて作業を続けた。

年末の28日にテレビ朝日の報道番組で、この美輪明宏氏がコメンテーターとして、「なぜ神様が政権を自民党に戻したのかと思ったら、後片付けをしなさいという事よね。半世紀以上かけて、この借金だらけにして、この原発もそうですわね。ぜんぶ自民党時代の産物をたった3、4年で尻拭いしろったって無理な話よ。自分のお尻は自分でとにかく拭きなさいよ。後始末は自分たちでしなさいよということで政権が戻ってきたんだと思うんですよね。だから今の弊害はたった2、3年のね、民主党がやったわけじゃなくて、その前の政権が全部積もり積もったものでしょ。潔さなんですよ。まず言い逃れとかね、詭弁で人のせいにばかりしていて。」と、自民党が責任逃れをしていること、国民に謝罪しないことに対して激しく批判した。
これに対し、ゲストの自民党の茂木敏充経済産業大臣は謝罪することはなく、「全部民主党のせいにしようとしてるじゃない。それが、こズルくてね、本当に卑怯未練ですよ。」と美輪氏の怒りは最後まで続いた。

長崎で10歳の時に原爆を受けた77歳の美輪明宏氏には独特な歴史観、社会観などを持っているのだろうが、自民党が進めようとしている原子力政策と経済政策に大きな疑念を抱いていることに注目したい。

by ecospec33 | 2013-01-03 08:34 | ●季節の変化と日常生活