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「浅草七福神めぐり」から見えてくる江戸の町(ENEX、待乳山、真乳山、今戸橋、山谷堀)

この2015年1月は親戚の集まりに始まり、日本乳業協会に関連した「牛の会」の散策と新年会などがあり、慌ただしく過ぎた感がある。
一昨日29日は、知人とビッグサイトで開催されているENEX2015を見に出かけた。2年ぶりであったが、新電力、再生可能エネルギー、エネルギーソリューションのブースがあり、電力自由化とガス自由化に向けた新たな対応を感じさせるものであった。
「牛の会」は昭和24年の丑年生まれを中心としたジジババの集まりであり、3年前の松の内の「小江戸川越の七福神めぐり」と同様に、17日は「浅草七福神めぐり」の散策があった。
1週間前に下見をおこなった主宰者の綿密な計画どおり、銀座線の浅草駅改札に12:00集合し、浅草寺を中心に時計と逆方向に七福神めぐりをし、浅草寺西参道の江戸下町料理と称する割烹理屋で新年会をして、18:30に浅草駅改札で解散した。
浅草の街の外周を大きく廻って、その寺社の数の多さに驚いたが、江戸時代末期の地図から、江戸城の北東部に寺社を集めた江戸の都市構造が見えてくる。
<江戸切絵図の浅草絵図(赤色の部分が神社仏閣)聖天社=待乳山聖天、八幡=今戸神社、神明=石浜神社、鷲明神=鷲神社>
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招き猫の今戸神社と酉の市の鷲神社は、テレビに良く取り上げられるので承知していたが、それ以外の七福神を祭っている神社は初めての出会いであった。どの神社もその由緒伝来を読ませていただくと、信仰対象としての長い歴史に自ずから納得せざるを得ない。
<東京スカイツリーからの写真:2013年4月22日撮影>
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この中で浅草神社の次、3番目に訪れた待乳山(まっちやま)聖天は小高い山の上にあった。
山の手台地の端にある上野の山を下ると、隅田川に向かって浅草寺のある低湿地帯が広がっており、ここだけが高かった。ここは、富士山と筑波山を眺める名所でもあったそうで、江戸後期の浮世絵師、歌川広重が隅田川から見た真乳山(待乳山)と山谷堀にかかる今戸橋の風景を描いている。
<歌川広重の浮世絵:真乳山と今戸橋>
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山谷堀は今では暗渠になっており、今戸橋が残されている。ここから上流の吉原に向かって桜が植えられた日本堤と呼ばれる土手道があったという。
現代の地図には待乳山に三角点の表記があり、9.7mと記されている。この10mに満たない山であるが、下の駐車場と上の拝殿を結んで、5人乗りのモノレールが設置されている。低地部の明治時代からの地盤累積沈下量は最大4.5mであることから、江戸時代の待乳山の標高は14mとなる。
浮世絵は実際より誇張して描く傾向にあるが、この広重の浮世絵は誇張してはいないように感じる。
<夜の浅草寺と東京スカイツリー>
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18時を過ぎると浅草寺は仲見世もほとんだが閉まり、昼間の雑踏がうそのようである。
散策当日は浅草の町を堪能したが、数日後からは江戸時代の町を垣間見ることが出来た。

by ecospec33 | 2015-01-31 18:15 | ●プライベート  

1月の行事(新年会、新宿駅周辺を歩く、シルバー、ウォーキング・グルメ会)

2月に入れば、早稲田大学理工学研究科の化学工学の同期会がおこなわれるだろうが、昨日で一連の新年会が終わった。

松の内に、東京工業大学工学部化学工学科太田口和久教授が主催する、井上一郎先生の喜寿のお祝いを兼ねた井上研の新年会があり、久しぶりに参加した。
井上先生は東京工業大学工学部化学工学科の教授と理化学研究所化学工学室長(後に理事)を兼任された、素晴らしい研究者であると同時に教育者である。1972年度に理研の化学工学室で1年間だけであるが、佐藤一省先生(後に東京理科大学工業化学部教授)の元で卒論をご指導いただき、自由闊達な雰囲気の中で自己研鑽する厳しさを学び、また、早稲田大学に戻ってからも、井上先生には修士の授業で、「確率論」、「最適化問題」などの原書を読解する術を学んだ。
井上先生が初めて経歴を披露された。『出身の群馬県大田市は田舎町であったが・・・戦時中は大学で1年半しかで学べず・・・理研に就職したが、原爆開発をしていたことにより、戦後すぐに理研が解体され・・・「社会に役立つ研究」を目指して、膜、遠心分離、撹拌など各プロジェクト形式で研究が行われ、実用化の目途が立つと携わったプロジェクト・メンバー全員が企業に移籍する時代だった。・・・』と、日本の戦後の復興を担った技術者の姿を彷彿とさせる、感慨深いお話であった。
新年会の参加者は50代以上がほとんどで、定年者が増加した。中には現役の原子力発電プラント設計者がいて、『(自民党政権になって)やっと、原子力を落ち着いて見直してくれるようになった。』と近況を述べた。その翌日に、井上先生著作の書物で自動制御で学んだという、東工大出身の元上司にこの近況話について話をすると、『大学のクラブの同窓会でも同じような話を聞いている。』とし、『世間の一般人と原発関係者とは、原発に対する意識に大きな隔たりがあるようだ。』と話した。
<<ロンドンから贈られた馬水槽>>
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例年開催される日本乳業協会傘下の「全国牛乳容器環境協議会」の新年会に参加した。
宴席で「運営委員会など各種委員会を立ち上げた。」と事務局が披露した。紙パックの回収率が頭打ちになっている状況を打破するために、協議会を構成する乳業会社などから動員するメンバーを増加させ、市民への紙パック回収の意識を向上させる狙いがあるようだ。
市民相手のこの種の問題は容易に解決に至らないが、事業者(企業)はこの種の活動をやり続けないと、社会から見放されるというジレンマがある。
<<太宗寺の地蔵菩薩:巣鴨など各街道筋に6か所設置されている>>
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昨日、これも例年のことなのだが、「全国牛乳容器環境協議会」に関与している(していた)丑年生まれの「牛の会」に参加した。「牛の会」は、50代の一回り下のメンバーを除いて、世間一般から言えば、シルバー世代のウォーキング・グルメ会(爺婆の歩こう会)となるのかも知れない。
西武新宿駅前を12時に出発し、歌舞伎町の食事処に16時に到着するまでの4時間で、旧跡、神社など雪が残る新宿駅周辺を見て回った。総歩数は約12,000歩であった。
西武新宿前→アルタ前の馬水槽→モア街→歩道公園“四季の路”(路面電車角筈線跡)→花園神社→成覚寺→太宗寺(信州高遠藩主内藤家菩提寺)→玉川上水・内藤新宿分水散歩道(新宿御苑散策路)→水道碑記と四谷大木戸跡→小泉八雲旧居跡→自証院→永井荷風旧居跡→坪内逍遥旧居跡→発明会館→抜弁天→永福寺→島崎藤村旧居跡→鬼王院(稲荷鬼王神社)→小泉八雲終焉の地→小泉八雲公園→新大久保コリアンタウン→皆中稲荷神社→歌舞伎町旧コマ劇場前→新年会会場
それぞれの旧跡には案内板が整備されている。正月の雰囲気が残る神社ではご朱印を頂くメンバーもあり、コリアンタウンでは、韓国のイケメン店員のアイコンタクトに釣られて、顔パックを購入するメンバーもいた。
<<小泉八雲終焉の地>>
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<<小泉八雲公園の飾り板(ダブリンの旧居にかざられている)>>
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かって武蔵野と呼ばれていた新宿駅周辺に数多くの文豪が住んでいたこと、小泉八雲は島根県松江市で14歳年下の士族の娘と結婚したが、1年4ヶ月間しか住んでいなかったこと、また島崎藤村が長野県から初めて移り住んだ新宿(当時は南豊島郡)の地で3人の娘を相次いで亡くしたことなどを知ったことは収穫であった。
大木戸近くには斎藤茂吉終焉の地があり、さらに足を延ばせば、早稲田大学近くで大名主の家に生まれた夏目漱石旧居跡、公園も見ることができるそうである。
ちなみに、誕生日順に並べると、
・小泉八雲:1850年(嘉永 3年)~1904年(明治37年)満54歳で没
・坪内逍遥:1859年(安政 6年)~1935年(昭和10年)満75歳で没
・夏目漱石:1867年(慶応 3年)~1916年(大正 5年)満49歳で没
・島崎藤村:1872年(明治 5年)~1943年(昭和18年)満71歳で没
・永井荷風:1879年(明治12年)~1959年(昭和34年)満79歳で没
・斉藤茂吉:1882年(明治15年)~1953年(昭和28年)満70歳で没

<<暮れなずむ歌舞伎町>>
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前週に主宰者があらかじめ探索してくれていたお蔭で、江戸、明治の時代に想いをはせながら楽しく見学することが出来た。深謝。

by ecospec33 | 2013-01-20 16:37 | ●プライベート  

長期の夏休みから現実へ(容器包装リサイクル法改正、エネルギー政策と原発問題、脱原発社会)

夏休みが終わり、今日から小学校が始まった。防災訓練でもしたのか、低学年の小学生が真新しい防災ずきんを抱えながら母親と帰って行く姿を見かけた。
私のブログが二か月間も更新されていないので、入院でもしたかと思った友人から電話があった。他の友人も心配しているそうで、有難い話である。
長期の夏休みを終わらせ、今日から再開しようと思っていたところだと話した。
長期の夏休みから現実へ(容器包装リサイクル法改正、エネルギー政策と原発問題、脱原発社会)_e0223735_16322752.jpg
先週、紙パックのリサイクルを推進する業界団体の関係者とゴルフをした。神流川沿いの山中のゴルフ場であったが、暑さは都内と大差なかった。
その行き帰りの車中で、改正時期が迫る「容器包装リサイクル法」「エネルギー政策と原発問題」が話題となった。

環境省は震災廃棄物の処理問題で手が回らないために、「容器包装リサイクル法」の改正方針を決定する審議会を全く開催していないこと、また関係する消費者団体も原発問題にシフトしている。このため、約5年前の改正時には、地方公共団体、業界団体、消費者団体が三つ巴の緊迫した状況になったが、今回はそうはならないだろうというのが、容器包装メーカーの環境部長の結論であった。業界団体の対応も少々緩和させても良いようである。
さらに、前回は野党であった小沢民主党が消費者団体の意向に同調し、業界からリサイクルに要する費用を捻出させる動きを見せたが、今回は、震災復興、原発問題、消費税増税などに比べ、この容器包装リサイクル改正問題は極めて小さな政治マターであることから、どこの政党からも横槍が入らないと考えて良い。
ちなみに、当時の小沢党首は、若手議員の議会での勉強のためにという理由から、法改正案に反対する意見を強制的に述べさせたと聞いている。

「エネルギー政策と原発問題」については、エネルギー政策の審議を公開してはいるが、国民の不信感は拭えないこと、また多くの国民が支持する「脱原発社会」実現への工程が見えないことが主な論点であった。
今後、今夏の電力需給の問題などから、これについては深堀りしていく。

by ecospec33 | 2012-09-03 16:33 | ●プライベート  

エコライフ・フェア2012とエコ仲間(代々木公園、深大寺~神代植物園~国立天文台)

昨日は、東京駅で先輩連とランチをして、雑踏の渋谷駅から、環境省主催の「エコライフ・フェア」が開催されている代々木公園に向かった。
日本乳業協会傘下の紙パックのリサイクルを推進する「全国牛乳容器環境協議会」のブースに立ち寄った。
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昨年の震災直後より盛況であったが、当然のように、東京電力の尾瀬のブースはないなど企業・団体のゾーンには活気が見られなかった。
それよりも、NPO・NGOのゾーンと、NHKが主催する「ECOパーク2012」の学生サークルのゾーンが昨年より活況であった。
昨年の電力需給逼迫の節電対応があり、スーパークールビズが喧伝され、ひと頃より、エコ活動が社会に根付いたのだろう、などと後輩連と納得しながら話した。
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先週は、「全国牛乳容器環境協議会」の有志の会である「牛の会」があった。
三鷹駅に6名が集合し、バスで深大寺に行き、蕎麦を食べてから参詣した。
神代植物公園はバラフェスタの最終日前日で満開であった。温室の睡蓮とベコニアがバラ以上に素晴らしく、芍薬も満足できた。
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国立天文台に歩いて向かった。黒点を観察していた口径20cm屈折望遠鏡の第一赤道儀室と口径65cmの国内最大の屈折望遠鏡の大赤道儀室(天文台歴史館)には、ボランティアの若者がいて、ドイツのカール・ツアイスの望遠鏡の説明を聞くことが出来た。
老朽化のために、大赤道儀が1990年代から使用していなことは、非常に残念なことであった。
武蔵境にバスで向かい、居酒屋で軽く語らって、解散した。

by ecospec33 | 2012-06-03 17:22 | ●プライベート  

犬仲間のご子息(伊藤P、モヤモヤさまぁ~ず、大江麻理子)

昨日午後に愛犬の散歩をしていたら、パピヨンを飼っていた犬仲間のご主人から声を掛けられた。
『息子の書いた本が「新書大賞2012」の8位になった。送ってきたのが何冊か残っているので・・・』ということで、昼前にご夫婦そろって持ってきてくださった。
伊藤隆行著「伊藤Pのモヤモヤ仕事術」である。

彼はさまぁ~ずと大江麻理子アナが出演するテレビ東京のバラエティー番組「モヤモヤさまぁ~ず2」の敏腕プロデューサーである。
「モヤさま」が始まった当初は深夜番組で、早寝の私は一度も見たこともなかったのだが、遅くまで起きている家内は楽しんでいた。

ご子息が早稲田大学に入学したこと、テレビ東京に入社したことも聞いていたが、「モヤさま」で小金井市の町を紹介したあとに、伊藤Pと呼ばれている人が出演し、よくよく見ると、犬仲間のご夫婦までもが出演していたことがあった。
2年ほど前だったか、これまた愛犬の散歩中に、ご夫婦とご子息夫妻とお孫さんにお会いしたことがあり、ついつい「伊藤P!!」と呼んでしまった。

大学時代にホンダドマーニを乗りまわしていた伊藤Pの元気のよさと面立ちは母親譲りのようであり、また「伊藤Pのモヤモヤ仕事術」から見える彼は、実に外連味がない青年のようである。放送界、テレビ東京、制作局というサラリーマンとしてはやや特殊な環境の中で、視聴者がおもしろいと思ってもらえる番組を関係者と楽しみながら創り上げていく彼の姿勢が見事である。

技術者の私とは全く違う社会経験を積んではいるが、この本を読みながら、今では当たり前になったコージェネレーション、バイオマス利活用などの画期的なはずの企画がなかなか社内で理解されなかった苦しい時代を思い出した。彼の大成を期待したい。

by ecospec33 | 2012-02-24 18:48 | ●プライベート  

世俗と隔絶した国立天文台と非常に世俗的な新年会

今日1月20日の朝は雪となった。豪雪で難儀している方々には申し訳ないが、久しぶりのお湿りとなった。
その前日は思い立って国立天文台三鷹に出かけた。喧騒な区内から小金井市に転居してから30年以上にもなるが、散歩の途中でも立ち寄ることが出来るほどの距離にある天文台を見学したことがなかった。
東京天文台と呼ばれていたキャンパスは、武蔵野の面影を残していた。
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1920年代の望遠鏡は全てドイツのカール・ツァイス社製であった。西洋の科学を先人達が学んでいた時代と、卓上の望遠鏡を使って地動説を説いた1600年代のガリレオ、1500年代のコペルニクスの時代を連想し、世俗と隔絶した天文学の世界に迷い込んだような不思議な感覚を味わった。

ちょうど昼時になって、脂ぎった顔の企業人とは全く異なる、世俗に疎そうな学者らが見学者用ワッペンを胸に付けた私の姿を怪訝そうに一瞥し食堂に向かっていた。その食堂は学食よりも粗末であった。お茶でもと思っていたが、そそくさと出てきた。
国立天文台は毎年約130億円の国家予算で運営されているのだから、世俗の私らの見学を受け入れざるを得ない。ちなみに、同じように宇宙を対象としている、この天文台から少々足を延ばすと見学が出来るという調布航空宇宙センター施設を有するJAXA航空宇宙研究開発機構の予算は約2500億円である。
国立天文台にしろJAXAにしろ、人類が解明したい永遠のテーマを扱っており、国際協力なしに活動できないために、固定的な経費が多いに違いない。

一昨日の夜は、OBが半数近くを占めている、非常に世俗的なある協議会の新年会に参加した。
すでに他の仕事をしている60歳の定年を超えたOBの自己紹介は長く、また頑迷固陋(がんめいころう)丸出しである。すでに保身は必要ないはずなのだが、過去の言動を弁護しつつ、現役時と変わらない高圧的な言葉で、その協議会の今後の行方を制限しようとするなど見苦しい姿に映った。
それも老齢の姿であり、私も注意しなくてはと思っていたが、現役の知人が私のブログを見つけたと話しかけてくれてもいたので、近況について、このブログを紹介させて頂いた。

近々の話題なので詳細は書けないが、私のブログの内容に対し、法を順守している業界の立場、業界の論理を説明した人物もいた。その立場は理解できるが、法を順守しているだけでは消費者の安心は得られない社会状況であり、それを払しょくするような行動が必要であると話をした。
論理的にブログを記しているつもりだが、多少の摩擦があることも覚悟しなくてはならない。

by ecospec33 | 2012-01-20 20:08 | ●プライベート  

小江戸川越の七福神めぐりと鰻重

日本乳業協会に属し、牛乳パックのリサイクルを推進する「牛乳容器環境協議会」に関連して活躍していた有志らが構成する「牛(丑年生まれ)の会」の第三回目で、昨日1月7日に小江戸川越を巡った。
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西武線本川越駅に着くと、駅前では七福神巡りのボランティアの方々が、数名の集団を送り出していた。その集団の後について集合場所の東武東上線川越駅に向かった。川越駅前でも七福神巡りの案内が出ていた。
駅改札には集合時間の30分以上も早く着いたので、近くの「一番、毘沙門天」に出かけてみた。そこでは、先ほど一緒だった集団が長い列の最後尾に並んでおり、お参りできるような状態ではなかったので、すぐに引き返した。
「牛の会」の主宰者は川越在住で、正月の七福神巡りが混雑することを良く知っており、逆コースで巡る予定を立ててくれていた。
「弁財天」は、川越の市内を取り囲んで流れる新河岸川沿いにあり、台地から一段下がった本堂裏にあった。江戸時代に水運に利用されていたという新河岸川には大きな鯉が大きな口を開け餌をねだっており、この川に沿って暫し北上したところに、「布袋尊」があった。
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「菓子屋横丁」で駄菓子を見ながら抜け、仲間が買ってくれた醤油団子を食べながら「蔵造の町並み」に向かった。金笛醤油などに立ち寄り、これこそ川越という「時の鐘」を眺め、「福禄寿」に向かった。この蓮馨(れんけい)寺の龍の彫刻は見応えがあった。
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「大正ロマン通り」から、喜多院方面に向かった。「恵比寿天」は成田山川越別院にあり、護摩焚きが行われており、大いに賑わっていた。また「大黒天」のある喜多院は初詣の大行列であったので、家康を祀った仙波東照宮に向かった。100m程しか離れていないのに、実に静かであった。代々の川越城主が奉納した大きな灯篭が非対称に並んでおり、長い年月を地震にも耐えてきたようである。
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主宰者が予約しておいてくれた「うなぎ 東屋」の趣のある2階で、談笑しながら特上の鰻重を食した。身はふっくらとしており、味は辛目であった。向かいにある成田山の3時の護摩焚きの鐘が聞こえ、帰宅の途についた。

時間の都合で五福神巡りに終わったが、小江戸川越は観光の町であった。
前日にも一通り確認して回ったという、準備怠りない主宰者に感謝する次第である。

by ecospec33 | 2012-01-08 11:46 | ●プライベート  

都内の観光スポット巡り(ニコライ堂、旧岩崎邸庭園、湯島天満宮、神田明神、湯島聖堂、神田老舗街)

昨日10月22日に、「牛の会」で御茶ノ水駅周辺の観光スポットを巡った。
毎日通勤しているような身近なところに、江戸、明治の時代を彷彿とさせる観光スポットがあったのかと不思議に思うほどであった。
この「牛の会」は、日本乳業協会で知り合った昭和24年丑年生まれの仲間が、還暦の年に結成した仲よし会である。一人を除いて現役であるため日程が合わず、2年ほど前に、湘南の防風林の下草刈りをするボランティア活動をして以来の活動であった。
「牛の会」を主宰する好人物が稀にみる晴れ男で、昨日は大雨の天気予想であり、昼前に大きめの傘を選んで差して出かけたのだが、御茶ノ水駅に着いた午後1時には既に晴れており、その後も雨は全く降らず、傘は杖替わりになった。

まずは聖橋口から最も近いニコライ堂(東京復活大聖堂)を見学した。
入口で300円を支払うとローソクを渡され、本堂の前で火を灯させてもらう。日本正教会(日本ハリトス正教会:ハリトスはキリストのギリシャ語読み)はギリシャからロシアを経て伝えられた教会で、ローマ・カトリック教会のようにバチカンといった総本山がなく、国別に自治されていること、イコン(聖人の絵画)を通じて神に祈りを捧げるのが特徴であると案内人から説明を受けた。
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地下鉄千代田線で新御茶ノ水から湯島へ一駅移動し、旧岩崎邸庭園に向かう。
この文化財は三菱財閥の創設者たちの栄華が偲ばれたが、江戸から明治への激動時に、いかに蓄財し、財閥としての地位を築いたかを推し量ると、気分の良い感情を持ち得なかった。
坂を少し上った湯島天満宮(湯島天神)は菊まつりに向けた準備が始まっていた。太宰府天満宮の「梅が枝餅」の話をしながら、神田明神に向った。
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江戸の氏神様である神田明神は、大黒様、恵比寿様、平将門を祭っている。商売の神様で、初詣では参道がいっぱいとなるという。その参道脇の趣がある天野屋は甘酒で有名である。
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湯島聖堂(大成殿)は孔子を祭っている。黒塗りの社殿は静寂さと厳粛さを感じ、異国の雰囲気でもある。孔子像も見どころである。
この江戸幕府官立の昌平坂学問所(昌平黌)は、明治維新以降に、東京教育大学(現、筑波大学)へ変貌したと、その付属高校に通っていた兄から良く聞かされたものである。
閉門ということで湯島聖堂から午後4時に追い出され、聖橋から神田淡路町の神田老舗街に向った。
神田郵便局裏には、神田藪そば、あんこう鍋のいせ源、鳥すきのぼたん、甘味の竹むらなど、タイムスリップしたような歴史を感じさせる建造物が並でいる。

その後、神田須田町で和菓子屋の庄之助で最中などを購入するなどして、5時からその近くの四川料理店で会食し、3時間後に解散した。主宰者の緻密な計画通りの楽しい一日であった。
次回は、主宰者の地元である川越の街とランチで鰻を計画中という。有難い限りである。

by ecospec33 | 2011-10-23 19:26 | ●プライベート  

五十肩、肩こり、首こりが治った?(マッケンジー法)

左腕の肘関節の腱鞘炎から五十肩に移行し、最近になって肩こりから首こりに進んだ。
昨年の11月からだから、半年以上も続いている。腱鞘炎は3度の注射と湿布薬モーラステープで治まったのだが、五十肩は1度の注射で軽減したものの、何度もぶり返す感じで、毎日のモーラステープ貼りは欠かせない。

五十肩のために左側に寝返りすると痛くて目が覚め、肩こりと首こりがひどいために息苦しさも感じるようになってきたので、この暑さにめげずに軽い運動が必要と思い、散歩を続けていたのだが、快方に向かう感じがしなかった。
このため、他の原因を探っていると、前かがみの無理な姿勢でパソコンを続けていることが浮かび上がった。1日の間、パソコン使用を我慢すると少し良いような気がした。

そのような時に、5日朝のフジテレビ「とくダネ」で、肩こりを防止する「マッケンジー法」なる整形外科療法が紹介された。司会の小倉氏は、この方法で腰痛を克服しているという。
姿勢を正して顎を引く運動を繰り返すことで、肩こりが軽減されるというので試してみた。1時間程度の散歩の最中に、この運動を何度か繰り返したところ、重い感じであった首の周囲が軽くなった。首も軽く傾く感じとなった。
たった2日間で、肩こりがなくなったどころか、五十肩も治りつつあるように思った。

それでも、根本的な原因を除去していないので、昨夜にリビングの一角に専用テーブルを置き、パソコンの設置場所を変更した。今使用しているが、なかなか良い調子である。
これで、肩こりと首こり、それに五十肩も抑えられ、完治に向えばと期待している。

なお、4日に美智子皇后さまが首の痛みを訴えられ、公務を途中退席されという。病名は頸椎症性神経根症ということである。
症状に軽重の差はあるだろうが、肩こりと首こりは頭の回転を妨げ、気分が非常に滅入ってしまう。なった人でないと、分からないつらさである。

by ecospec33 | 2011-07-07 08:54 | ●プライベート  

コピペ時代にブログで情報発信する私の姿勢

東日本大震災を機にブログを開始し、約3か月半経過した。
食品業界の中で、私ほど環境に関連した業務に長年にわたり従事した人物が見当たらないこと、東京理科大学工学部で環境に関連する授業を続けていたこと、専門雑誌に環境に関連する内容を数多く投稿していることなど、多くの経験と実績をもとに、現状の身近なゴミ問題から地球規模の温暖化問題まで、環境に関する諸問題などを分析し、新たな方向性を見出すべくブログで情報を発信することにした。
書き手としては選択のしようがないが、私のブログを読んでもらいたい相手は、環境を学ぶ学生、環境を業務とする企業人、環境に関心を持っている社会人である。

昨日1日早朝にNHKが視点・論点で「検索・コピペ時代の文章術」を放映していた。
インターネットで関連する文章を検索し、それをコピー&ペーストして、自分が作成した文章のようにてしまう『コピペ時代』になったという。大学のレポートの半数がコピペで作成されているらしい。その権利を堂々と主張する人もいるらしい。
また、ブログ、ツイッターについては、短い文章のために誇張する表現となり、受けを狙い、奇をてらった内容となる傾向にあるそうで、受け手側も信憑性、信頼性などに注意が必要なようである。

私は自分の経験に即してブログのテーマを決定し、そのテーマに関与する新聞記事などを参考にし、キーワードなどをインターネットで検索することもあるが、実体験した内容を必ず入れて、安易には記述しないつもりである。
私のブログを読んでくれた知人は厳しい批評をしてくれないが、評判は次のとおりである。
「毎日書いているのに驚いた。」
「君らしい硬い内容で良い。」
「具体的、率直過ぎる内容かも知れない。」
「誰だかが想像できる内容で面白かった。」
「勉強にもなった。」

評判はともかくとして、体力は散歩で、頭脳はブログ書きで、その衰えを幾分なりとも遅らせたいと考えている。
硬いテーマと内容なので興味を持つ人は少なく、アクセスする人も多くはないだろうが、兎にも角にも、ブログは人のためというより自分のためと思っている。

by ecospec33 | 2011-07-02 07:20 | ●プライベート