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下水道を考えるⅡ(小金井小次郎、汚水、雨水吐き室、スクリーン、合流式下水道、分流式、吐口、野川)

小金井市の現代の有名人として、詩人の串田孫一、作詞家の星野哲郎、画家の安野光雅を挙げることができるが、江戸末期から明治時代にかけての有名人は小金井小次郎(1818年~1881年)であった。
小金井小次郎こと関小次郎は、清水次郎長(山本長五郎:1820年~1893年)と並ぶ侠客の一人で、小金井の大名主、関家の次男として生まれたが、13歳で勘当され、府中の藤屋万吉親分(市村万吉:1801年~1865年)に可愛がられ、跡目を相続した。小金井はもとより、青梅街道沿いの小平、五日市街道沿いの四軒寺(吉祥寺)、甲州街道沿いの府中、調布、烏山、笹塚、中野、大久保、新宿、川崎街道沿いの溝の口、東海道沿いの川崎、鶴見、生麦、子安、横浜を縄張りとして、三千人の子分をかかえる博徒の大親分であったという。
彼は維新前後の12年間、三宅島に流罪となっていたが、その間、井戸を掘って荒地の開墾に尽くした人物でもあったという。彼の孫が第2代の小金井市長に就任していたそうであるから、超有名人であったに違いない。
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2009年に、小金井小次郎が眠る鴨下家と関家の墓所の南西角、塀越しに小次郎の石碑が望める場所に「雨水吐き室 スクリーン制御盤」が設置された。
雨水吐き室とは、雨水と汚水を同時に管渠(埋設された排水管)に収集、排除する合流式下水道(⇔分流式下水道)において、降雨時に雨水相当分を越流ぜき(オーバーフロー部)から河川や公共用水路への管渠に排除するために設けられた構造物で、スクリーンは越流ぜき上部に設置され、河川などに夾(きょう)雑物が流れ込まないように分離し、これを下水処理場に流出させるための仕掛けである。
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合流式下水道は、1973年に「下水道施設設計指針」が改訂され、分流式下水道が原則採用される以前に、下水道が整備された大都会に多く、東京都の区部で面積比率の約85%が、多摩地域で40%弱が合流式下水道となっている。
この合流式下水道では、降雨時に未処理下水が河川などに放流され、水質汚濁や悪臭、公衆衛生上の観点から問題視されていたことから、2002年に「下水道法施行令」が改正され、分流式下水道並の汚濁負荷とすること、未処理放流水の回数半減、夾雑物の流出防止を図ることとなった。
この対策の一環が、小金井小次郎のお墓近くの「雨水吐き室 スクリーン制御盤」である。
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この「雨水吐き室」以降の管渠は汚水と雨水に分離され、天神橋の下にある「吐口」から野川に放流されている。
この吐口にはゴミなどの大きな夾雑物が見られ、スクリーンの効果は?と疑問が残った。なお、小金井市では、13か所の雨水吐き室にスクリーンが取り付けられたという。

by ecospec33 | 2012-10-18 12:15 | 〇下水道と汚水処理  

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